この十何年ほど毎年正月は決まって関西のとある友人宅で過ごしていたが、まあいろいろあって横浜に戻って来てから初めて地元での正月となった。おせちとまではいかないが仕事を終えた大晦日の昼頃からとりあえず食べ物の心配のない程度に買い出しにも行った。まあどうせおでんなど炊いたりするくらいであとは雑煮か磯部巻など食べれば正月を味わった気になれる。そうは言ってもおでんの用意だけでは正月の特別な気分になにか足りないものがあるような気がして久しぶりに豚バラの角煮、あるいはラフテー風なものを炊いてみた。ラフテーといっても誰に教わったわけでもないので作り方は想像でしかなく煮るときにたっぷりの焼酎(イモですが)をドバッと上から注ぐというのが似ているくらい、豚バラの角煮というには八角やフェンネルなどスパイスを放り込むので味には癖がある。というわけでどちらかといえば昔吉祥寺にあった台湾料理の小さな居酒屋(なんだか変だが)で食べた、豚一頭分各部位をそれぞれ甘辛く煮付けたような煮物を思い出しながら作っている。
味をちょっと濃いめにして保存食のつもりだったが、出来上がったのがもう年越し寸前の夜中だったので早速出来立てを一部いただくことにした。味がしっかりしみていないとはいえこういうものはやはり出来立てが美味い。そういえばいみじくも誰かが「今日食べないものをこしらえるゆたかさ」の話をしていたが、「今日食べないものを今日ちょっとつまみ食いする幸せ」というものもあってよさそうだ(「つまみ食いする分多めに作っとく」というのも)。ふわふわ崩れそうになる角煮を慎重に器に移し針千本に刻んだ晒しネギをたっぷり散らし、湯割りと一緒に盆に載せいつもの定位置に運んで行くときに、器から立ち上る湯気とともに甘辛の煮物の匂いが鼻から侵入する。ふと「食べたいものを作って食べれる幸せ」というものを思う。そしてすかさず「大概の食べ物を美味しく味わえる胃腸を持つ幸せ」がやって来る。「ああなんと幸運なことだろう」と思う。そうだ、この幸せ感は「幸福」ではなく「幸運」なんだな。
じゃあ「幸福」とはいったいどういうものか、「幸運」が棚からぼたもちのようなたまたま授かったようなものとすると、「幸福」とは追い求めることで得られるようなものということになるのだろうか。例えば人並みに家庭を持つこと、なにものにも邪魔されずに好きなことに専念出来る身分、など「幸福」に繋がると誰もが思うような例を考えてみれば、幸せに持続性がありその上他の人もそれを幸せと感じられる、つまり複数で幸せを共有あるいは理解出来るということが条件のようにも観えてくる。それに対して「幸運」というものは厄介だ。こいつときたらなんというか、知らず知らずのうちにやって来てちゃっかり居座っていることが多いからだ。当の本人はそれをなにかのきっかけで気が付くしかないし気が付かないこともあるかもしれない。その上その幸せとは本人以外になかなか理解の及ばない非常に主観的なものだ。
というわけで「幸運」というものの条件は巡り合わせだけでなくさらにそれを見出すことが出来なければ得られないという厳しいハードルが用意されているということになる。だからといって「幸運」は「幸福」より分がわるいかというと決してそういうわけでもないだろう。「幸福」は一般的理解の中にあるものだとすれば「形」「型」が存在し、その種類には限りがある。しかし「幸運」はどんな事象も「幸運」となり得るのだから本人が幸運と受け取ればそれは幸運だし、悪い出来事があっても後から考えればそれが幸運のきっかけだったと言えることも多い。「幸せ」は「仕合わせ」とも書くが、いいことも悪いことも自らつじつまを合わせて行くことで得られるしあわせという意味か。
僕の例で言えば音楽をずっとやってこれているという身分は「幸福」のうちに入るのかもしれない。そうは言ってもなんやかや邪魔も入るし怪我をしたり肩を痛めたりして長い間中断させられることも多い。けれど邪魔されない安定した「幸福」な音楽生活などあり得ないと思っている。今までもそうやって来たしこれからもそれしか知らないだろうし、何よりもそういう中でこそ自分も音楽も成長して来ていると思えるからだ。だとすると僕の「幸福」な音楽生活は「幸運」の積み重ねで成り立っているといえるかもしれない。まあ人それぞれ異論はそれぞれあるだろうが、僕の場合は今この一瞬幸せかどうかをあまり問われない「幸福」よりも、棚からぼたもちの「幸運」の方が好きだ。そういう「仕合わせ」がピタッと一致するするのはほんの僅かな一瞬でしかないが、ひらめきのようなものと同じで何もかも忘れて心からそれを喜べるのだ。
去年の12月、突然連絡が入って高校時代に所属していたサッカー部のOB会に出席した。伊豆修善寺で一泊、温泉付というのにも惹かれた。地元で細々付き合いが続いて来た者も居るには居るが、それでもそれぞれ40年ほど社会で別々の道を歩んで来たわけだ。ところがいざ集まってみると素朴な人柄が当時とまったく変わっていないのにホッとする。これがまた自分の職務に戻ればそれはそれできっとそれぞれ別の顔を持っているのかもしれないが、少なくともここにこうやって集まっているときだけでもそういう顔を見せられるというのは、何だか「同じ釜の飯を食った仲間」というまあある意味体育会系のありがちな絆を感じるのだけれども、それが妙に心地いいのだ。
宴会の最中に誰かから「またサッカーやりたい」という声が上がったのだが、それにほとんどが賛成の手を挙げたのに驚いた。OBといってもサッカー部創立後三年代くらいの固まりだ。もうほとんど還暦に手が届こうというおっさんたちがまだサッカーをやりたいと言う。実は僕自身4年ほど前にサッカーボールを買っている。何となくまたボールと戯れたいと思い買ったのだが、昔の感覚がまったく失われているような気がしてそれが不安でなかなかボールに触ることが出来ず、ほぼ新品のまま玄関に転がしてある。高校生の頃なら近所を平気でドリブルして走り回ったり出来たが、今となっては下手くそなのが恥ずかしく、何よりボールを受けてくれる返してくれる相手というものが欲しかったのだ。
年が明けて最初の日曜日、クラブの創始者でもある二年上の先輩から出身校のグラウンドに集合の招集がかかった。もうこれは確実にしごかれるに違いないと思い、それはきっと面白そうだということで早起きしていそいそボールを抱えて出て行った。行ってみると何やら今のサッカー部現役らしきチームが試合をしている。話を聞くとサッカー部員の親御さん等で作っている後援組織があって、今日は新春発蹴りを兼ねてのOBとの交流会なのだそうな。まあ僕らは観せてもらうことにして早速グラウンドの隅でボールと戯れることにした。身体が動かないのは仕方がないが、遊んでいるうちにみるみる昔の感覚が戻って来るのが分かって嬉しい。思うところに蹴れたり蹴れなかったり、その一つ一つが快感となって返ってくるのだ。そんなこんなで遊んでいてだんだん息が上がって来たなと思った頃を見計らったかのように、突然試合をするという話が舞い込んで来た。卒業して間もない二十歳そこそこのOB連の若者と混ざって2チーム作り、何故か僕はフォワードをやらされた。彼らは若くて走れるし格段に上手いのだが、手心が加えられているのを差し引いても意外にボールに触れるもんだというのが嬉しかった。局面でスピードは追いつかないし走ればすぐバテる、ボールを触っても思うように扱えないし結果は散々だった。けれどもそれとは裏腹に「試合をしたい!」という欲望が沸々とわき出して来るのには参る。始めは気の置けない仲間と静かにパス交換でもしていれば満足だ、という程度に思っていたが一旦試合を経験してしまうともうそれだけでは済まされないというのにも気が付いた。
「試合」は魔物だ。音楽でいえば「ステージ体験」というのに似ている。一度「あれ」(翻訳不能)を経験してしまうともうその後からはそれ以下では済まされなくなる。そういうことがこんな年齢になってもまだ蘇って来るものなんだ、ということが実は今回の最大の収穫だったのかもしれない。また「幸運」が一つ、サッカーボールを抱えて門前にやって来ているぞ、と密かに意識しておこう。
と、ここまではその当日に沸々と沸いて来た活力に任せて思いを巡らせた内容を翻訳したものだが、その「幸運」君がサッカーボールを抱えてやって来た翌日、瘋癲老人には壊滅的な打撃を与えるであろう想像を絶する「筋肉痛」という招かれざる客が彼を追ってやって来てしばらく居候を決め込んだ、ということは付け加えておかねばならない。
真ん中が僕らの年代のキャプテン キャプテンは真ん中がよく似合う