2008年 12月 04日
野澤屋 |
エレベーターより断然エスカレーターに乗りたがるのは単に好き嫌いの問題なのかそれとも閉所恐怖症の気味があるのか、あるいは人混みが苦手だとか列んだりじっと待つことの出来ないいらち(短気)だとかいろいろ考えてみるが、好き嫌いを除いてどれにもまんべんなく当てはまるのでいやになる。しかし最近はエスカレーターで列ぶことも多いからな、そういう意味では片側に寄ってくれる習慣は有難いがしかしいったい何年何月何日からそういう決まりになったのさ、あれ不思議。その上西と東では寄る方向が右左逆なのはもしかして地磁気でも関係しているのだろうか。なんせ十何年エレベーターもエスカレーターもほとんど利用することなく暮らしていたものだから、その辺りの事情にはまったく疎い。つまりデパートに買い物に行かない電車にも乗らないというようなことなのだが、京都という都会ではそんな暮らしの柄でも不思議にやって行けていたのだなあと離れてみて今ようやく気が付くのだ。
好き嫌いの話に戻せばエレベーターについてはマニア(居るのでしょうな)というほど好きではないだろうけれど、ボタンを押したりして目的の階を選んだり扉の開閉などある程度自分で操作が出来るのがまずよろしいところ。複数の人が乗っていてたまたま自分が操作盤の前に立っていたりすると、他の人の昇降のために開閉ボタンを操作してやったり「何階ですか?」などと頼まれもしないのに降りる階のボタンを押してやったりも出来る。別にでしゃばる風でもなくその上周りにもあたりまえに受け入れられつつ、誰でもじつに自然にちょっとしたリーダーシップを取れる瞬間だ。こんな風にドゥー・イット・ユアセルフで操作しつつ何気なく他人とのコミュニケーションがとれるような仕掛けは公共の施設としては他にあまり思いつかない。互いのやり取りといっても乗り合わせた他人同士世間話をするわけでもなく新たな関係が築けるわけもなく、そこでは一様にそれぞれの世界をそれぞれがやんわり保っている。実にクールなのだ。
その昔は確かエレベーターには乗り場の前の案内役と箱の中の操作役との専門職が必ず配備されていたのだと記憶している。電車の運転手と車掌の関係のようにエレベーター初期の導入の際、危険管理とかいろいろな意味で必要とされたのだろう。それがあるときからドゥー・イット・ユアセルフのエレベーターが現れるようになりそれが次第にあたりまえになった。特に70年代に入ったあたりから人件費高騰のあおりを受けて一気に変わったのだろうか。格式のあるホテルでさえもおそらくほとんどが廃止になって今では幾つかのデパートだけで生き延びている筈だ。デパート恐るべし、しかも斜陽。その昔といえば、エスカレーターだって最初の一歩が踏み出せずに入り口で立ちすくむおばちゃんとかをよく見たもんだ。今はヨボヨボの老人でさえほとんど迷わずすっとエスカレータに乗り込む時代。
エレベーターの話に戻せばその昔、中学で(多分)同級生だった女の子が高卒で伊勢丹本店のエレベーター・ガールになった。中学当時は身体も大柄でスポーツも万能成績優秀、おてんばだが性格もよく人気者だったが思春期入り口の男子生徒の憧れ「かわいこちゃん」のカテゴリーには属していなかった筈だ(「青春もの」にありがちな話になって来たな)。高校は別だったのですっかりご無沙汰していたが、卒業したあと事情通の友人から話を聞いて早速伊勢丹に行ってみた。伊勢丹のエレベーター・ガールといえば容姿端麗ハイレベルで当時は高嶺の花と言われていたようなこともあってどうなんだろうと思っていたが、実際仕事中の彼女の姿を拝んで見違えるようになっていたのに驚いた。中学時代は健康児の証拠のようにほっぺたに赤みが差していたのが奇麗にプロの化粧が施され大人びていくぶんよそよそしい表情。大柄な身体はスラッとしてスタイルもよくハイヒールがよく似合う。運良く彼女のエレベーターに客一人きりで乗り込み思い切って声をかける。彼女も気付いていたらしくドアが閉まったとたんふっと顔が崩れて昔のおてんばな女の子に戻った。次にドアが開くまでの僅かな時間の間に懐かしい昔話などちょっとだけやり取りしてまた会おうと約束はしたもののどうしようもない距離も感じたものだった。毎年最低でも一人や二人は東大に合格するような県立の進学校で周りがほとんど大学受験するなか就職して社会人となった彼女の心情、なにか背負っているものがあるに違いないのにくらべて僕のように親の脛かじりで浪々の身のその上昼間にふらふらデパートなんぞに冷やかしに来れる身分との世界の隔たりを感じたのだ。ハイヒールを履くと僕より背が高くなるほどなので見下ろされている感覚がより強調され、大人な彼女に比べまったく子供っぽい自分が恥ずかしくなった。
僕がエレベーターよりエスカレーターを好むのはこの経験がトラウマになっているからなのだ、てなことはまずありえないのだけれどそうでないとすれば「だからどうやちゅうねん」というようなムダ話。
あるとき伊勢佐木町を歩いていると「松坂屋閉店セール」という張り紙が目に入った。ここは前は松坂屋じゃなかった筈だが・・・、となかなか思い出せない。
その昔横浜にもローカルな「野澤屋」というデパートがあった。伊勢佐木町の衰退と共に経営難に陥ったようでいつの日からか松坂屋に吸収されていたのだった。横浜は横浜駅西口に高島屋が以前からあるが「野澤屋」の方が断然古く格式があり、スーツ一つでも野澤屋で仕立てた方が高級感があったし置いてある服もいいものが多く当然値段もいいものだった。実際売りつくし半額セールの紳士服売り場を覗いてみたが、半額でも手の届かないようなカシミヤなどの高級品ばかりだった。
建物も古く、執拗に細かい装飾が施されたアールデコ調の建築だ。中に入るととにかく目に付くのは昔からそのままの外観で使われて来たエレベーターとエスカレーター。こういうものを長いこと使い続けていくにはこまめなメンテナンスとかが大変だろうと思うが、きっと中の機械だけ新品のものにすげ替えたりと工夫しているのだろう、その頑固さと心意気に脱帽一礼(イメージのみ)。昔は何気なく利用し見逃していたが、こうやって再会して見直すとずっしりとした風格とそれとはまるで逆さの軽々しい浮気者の感覚があたりまえのように同居しているのが観えて嬉しい。横浜人(「びと」と読もう)、誇り高き洒落者の心意気とでも言ったらいいのだろうか。最近の新品のモノでこういう土地柄人柄を匂わせた雰囲気のある意匠は見たことがない。たとえあったとしてもすぐ別のものに取って代わられてしまうのが現代。松坂屋が閉店になっても(10月中に閉店した筈)この建物自体は解体されないそうだが、どのように取って代わられるのかは見届けておきたいものだ。
by digitaris
| 2008-12-04 17:50
| 横浜散歩