2008年 06月 18日
ない場所ない人ない心 |
ビートルズの曲に"Nowhere Man"というのがある。この曲は1965年の暮れに発売された『ラバー・ソウル』という公式6枚目のオリジナル・アルバムの収録曲だ。
それまで超人気アイドルだったビートルズは他のアーティストと同様、新しいヒットチャート向けシングル盤を発売した後にその曲を含めて収録したアルバムを作って来た。アメリカが北ベトナムに大規模な爆撃を始めて悲惨なベトナム戦争がいよいよ抜き差しならない状況を迎えた1965年という年はいろいろな意味で転換点であったが、それにシンクロするかのようにビートルズもアイドルとしての自分たちに決着をつけなければならなかったのかもしれない。その『ラバー・ソウル』というタイトルの、題名もジャケットも内容も奇妙な雰囲気に満ちあふれた真新しいアルバムには、事前に発売されたシングル盤「デイ・トリッパー/恋を抱きしめよう」の二曲は収録されなかったのだ。シングル盤は表の顔、アルバムはより内面的な世界というような区別をしたかったのだろうが、どっちにしろ僕の耳には同じように翳りのある大人びた雰囲気を身につけた、以前とちょっと雰囲気の違うビートルズがそこに居た。そしてかくいう僕もたまたま14歳、思春期の入り口にまさに立っていたわけだった。
話をシングル盤に戻すと、日本では経済的な理由で高価なアルバムを買えるティーンエージャーが欧米より圧倒的に少なかったのだろう、それを狙ってそれまでにも東芝オデオンでは公式発売のシングル盤だけでは足りずに、発売されたアルバムの中から日本独自にシングル盤を何枚もカットして発売していた。「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」、「ノー・リプライ」、「恋のアドバイス」など何故か渋い曲が多いのは面白い。この時点ではまだビートルズ側の意向が無視出来たのか『ラバー・ソウル』からも例に漏れずシングル・カットの憂き目にあった曲、その一つが"Nowhere Man"だった。日本発売のシングル盤にはだいたい日本語のタイトルが付けられるというのが恒例だったが、"Nowhere Man"は「ひとりぼっちのあいつ」だ。「恋を抱きしめよう("We Can Work It Out")」もそうだが、共に深い内容の歌詞を持った曲に能天気な邦題、幼稚な英語能力の中学生はそれでコロッと騙された。歌詞カードに訳詞の付くような時代ではなく最先端の若者的会話風に綴られた歌詞は、ただでさえ英語詩の語法も韻も分かっていない中学生には辞書を引いたところでチンプンカンプンだったのだ(詰めの甘い性格の言い訳のようにも聞こえるが)。
しかし今もう一度見直しても確かに"Nowhere Man"に日本語タイトルを考えるのは骨の折れる仕事だということが分かる。無理矢理の直訳風にすれば「どこにも居ない人」ということになるが、それではいまいち深い意味を伝えることは出来ない。だいたいからしてnowhereを「どこにも〜ない」とすることに無理がある。日本語では「どこにも〜ない」はまさに世界の中に「ない」ということだけれど、英語ではnowhereは「ない場所」であり、「ない場所」を世界の中に「ある」と数えるからだ。無理を承知で言うが例えば"go nowhere"は英語的には「どこにも行かない」ではなく「ない場所に行く」ということなのだ。御堅い直訳的日本語だが何故か非常に新鮮で詩的な表現に聴こえるのが不思議だ。同じくnobodyという言葉は「誰も」居ないのではなく「nobodyさん」が居るのだ。
"Nowhere Man"の歌詞の一番では「彼はまさにnowhere man nowhere landに住んでnobodyのためのnowhere planに苦心している」という風に唄われる。「ひとりぼっちのあいつ」という邦題とこの下りの歌詞をみるかぎり、何となく孤独を愛するロマンチックで愛すべき存在として受け止められてしまうし、後の『Yellow Submarine』というアニメの中でもそれに近い描写がされていた。だからコロッと騙されたのだ。いや邦題にというより作者のジョン・レノン自身にと言うべきか。ボブ・ディランの影響からか、この頃にはすでにジョンは歌に二重三重の意味を持たせる癖がついていたのだろう、これは反面絶望を扱った歌でもあるのだ(と、ここからはほとんど僕の勝手な解釈と思ってほしい)。
誰でもこういう目にあったことがあるのだろうか、一見仲間としてその場に置かれていながら話の輪の中に加えてもらえず自分だけがその場に居ないかのように扱われる、というような経験(今はどうか知らないが女性は特に身に覚えがあるかと思うが)。話題に口を挟んでも無視され意見を乞われることもない。後で誰かにそれをぼやいても、それはひがみだろう、というような答えが返って来るだけで取り合ってもくれない。そういうわけだからはじめのうちは自分の社交性のなさを諦めに変えて見過ごすしかないし、大概はたまにしか起こらない出来事であったりするのだけれど、僕の高校時代は延々それに近い状況であった。
相手にされなければ自我に頼るしかなく、自我が膨らんでくれば周りとどんどん遊離する。これは悪循環ではあったが、救いは逆にそれをネタに汚物扱いして責め立てるようないじめの構造にまで、世間がその時点ではまだ至っていなかったからだ。おかげで強過ぎるほどの自我に翻弄されることにはなったがそれはそれなりにひとつの愉しみでもあった。まだ高校生、気付くのはビートルズ熱が再発する二十歳過ぎだった。突然ハタ、と膝を叩く。
そうか!自分こそが"Nowhere Man"だったのか!!
『ラバー・ソウル』を初めて聴いたときの驚きをヒントに、ブライアン・ウィルソンが持てる力のすべてを注いだと言われるビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』というアルバム、その中に「駄目な僕」という曲がある。原題は"(I Guess) I Just Wasn't Made For These Times"、「今自分はこの場所に存在していない(ような気がする)」といったような意味だろうか、これはまさに"Nowhere Man"のもう一つの解釈だ。たぶんブライアン・ウィルソンは『ラバー・ソウル』の斬新なサウンドよりも、若気の至り、両極端に揺らめく精神の正直な告白に打たれて『ペット・サウンズ』に挑んだのだ。
このようなものすごいレベルでの連鎖反応を目の当たりに出来た時期がたまたま思春期の入り口であったという巡り合わせに、僕は本当に感謝しなければならないと思う。そのおかげで絶望的な時間を過ごした思春期を乗り越えられたし、あげくに音楽という大河の流れに飛び込むことも出来た。
子供のころは「ある」ことにばかり夢中で、その暴力的なほどのパワーが生きる源だった。そしてそれが大人になるまでの長い時間をかけて今度は「ない」ということを知る。「ない」ということが「ある」のだ、という魅力的な矛盾を英語から教わったというのも変な話だ。
by digitaris
| 2008-06-18 22:34
| 映画・音楽・アート