2008年 03月 10日
テルミー・フウ・ユ・タンポ |
母死して・・・健康グッズ残す。
うちの母親は今時の婆の例に漏れず普通に健康お宅だった、と思う。亡くなって七年も八年も経っているというのに、未だに母親が一人暮らしをしていた頃のまま家は何も片付けられないでいるのだが、残されたものの中にクコの実だとかウコンの粉末だとか家の周りにはびこるドクダミを刈り取って乾燥したものだとか、テレビや近所の老人会の友達などから仕入れた情報にいいように振り回されたかのごとく数多く出土する。あげくの果ては電磁波治療器のような大げさな器械まであって、どうしたものやら処分に困ったりもしている。
常に身体を鍛えておくというような習慣も持ってないくせに、今のところ自分は病気一つしないしこの年代にしてははつらつとしている方だというような慢心もあったようだ。それが去年の春頃から何となく痛みだした多分五十肩だろう終わりの観えない痛みにめげてあっさりと、老け込んでいく自分もそう悪くないかもしれんなどと喜んでいるようなのだから困ったものだ。痛みは辛いし気弱になっている筈なのにイシャ嫌いで、だから毎日膏薬を大量に肩に貼らなければ仕事もままならなくなっているのだが、元々皮膚が弱いせいもあって肌が被れてくる上に、日々思いのほかかかる膏薬代も惜しくなって来ている。
母親の晩年、いつの頃だったか知らぬ間にテルミーという治療器具にはまっていて、夜になると決まって部屋中線香の煙でいぶされたようになる。肩こりもなかったその頃、僕はそういうものにまったく興味を抱かなかったのでああまた始まったな、くらいの感覚でいたのだが、今こうやって五十肩に悩まされたあげくひらめいた。早速発掘作業が再開され、道具の入ったクッキーの四角い缶出土。未だ手を付けられずにいた開かずの棚の奥に例の線香の束がたっぷり入った箱も発見。
考えてみると母親は昔からいわゆる民間療法が好きだったようで、転んで打ち身をすればうどん粉を酢水のようなもので溶いて唐辛子の粉を混ぜ、祖父の代の書き損じの手紙の類なのだろうか筆書きで何か書かれた薄い和紙の切れ端に塗り付けて患部に貼ってくれたりした。これは何とも臭うものだったが、今考えると本当は打ち身にはまず冷湿布でなければいけない筈なのだがどう考えてもあれは温湿布だ。それから「ふう」というものがあった。
蕎麦猪口風の専用の白い茶碗、その中に新聞紙の小さく四角に切ったものを三角に折りそれに火をつけ茶碗に放り込み、茶碗から火の手がボッと上がるのを見計らい「スゥー、フウッ!」という声とも息ともつかない呪文と共にいきなり患部めがけて茶碗を伏せる。密閉された茶碗の中で火が燃え尽きると気圧が下がって、その伏せた茶碗の口の丸い部分だけの身体の肉を吸い出すように盛り上げる。
子供の頃は栄養が偏りがちだったせいか、よく体中にできものが出来てそれが膿んで大きな腫れ物となった。その膿みを「ふう」で吸い出そうというわけなのだが、その前に富山の置き薬などにあった「蛸の吸い出し」という緑色の軟膏を塗ってしばらく待つと膿みが成長してただれて来る。その絶好の時機を逃さず母親は嬉々として「さあ、『ふう』しましょう!」といそいそ用意を始め、子供にとってその瞬間からたとえようもない恐怖が待っているのだった。だいたいからして火が放り込まれた茶碗を使った「ふう」という一連の作業を想像しただけでももちろん怖いのだが、時々端から空気が漏れてやり直しになったり、酷いときにはそれによって火が消えず、ちょっとした火傷を患部のそのまた上に負ってしまうという二重の苦痛を味わうこともたまにはあったのだからたまらない。ああ、あの恐怖は今思い出しても恐ろしい。昔は子供にとってとてつもなく怖いものがたくさんあって、よく親はそれを脅しに使った。この「『ふう』しましょ」も例えば「なまはげが来るぞー!!」というのときっと同じだったに違いない。
話は脱線してしまったが、五十肩は色々調べてみたところ肩関節の不具合で靭帯などの筋に炎症が起きて痛むらしく、基本的に暖めるのがいいというのだ。確かに風呂に入ると肩が回るようになるのだが出て暫く経ってしまえばまたもとの痛みがぶり返す。ある程度長く効用を引き延ばすにはやはり膏薬かなにかのお世話にならざるを得ない。
テルミーは正確には「イトオテルミー」と言って、昭和の初めに伊藤金逸という医学博士が開発した温熱療法らしい。実は昔いろんな意味で手伝ったりお世話になったことのある劇団「発見の会」を主催する瓜生良介氏、別の顔として「快医学」という自己治療法を編み出し実践しているお方なのだけれども、彼もテルミーはなかなかいいと言っていたような記憶があって、そんなつながりに親しみも感じた。
テルミーは具体的に言うと、鉄製の、鉛筆のサックを長くしたような形で先の方に四カ所ほど細長い穴をあけてある外側と、火の起こった太い線香を挟んで中に差し込む内側との二種類の器具で成り立っている。内側の器具を差し込むと丁度線香の先が器具の先端の穴から覗くような位置に収まって、外側が線香によって暖められ更に煙が細い穴から漏れて行く。その器具を二本手に握り先端部を身体に当てて皮膚を摩擦するようなやり方で治療を行うのだ。
本来はテルミーの会に入会し、セミナーに通って治療法を会得しなければならないらしいのだが、母親がやっていたやり方を見よう見まねでやってみる。潜りのテルミー使いになってしまうのだが仕方がない。普通のマッサージの基本的なやり方を応用すればいいのだろうという安易な考えで初めてみたのだが・・・、一週間続けてみたところあら不思議、なんと肩が楽に回るようになってしまったのだ。その上肩だけでなく裸になって全身を丹念にマッサージするととてつもなく気持ちがいい。快感を得られるということにほとんど逆らえなくなったというのも老け込んだうちにはいるのかもしれない。全身テルミーは今や僕にとってドラッグと化してしまった。
しかし今ある線香はいつか切れる。これは恐怖だ。五十肩は治ってもいずれテルミー禁断症状がやってくるのは間違いない。何故なら線香は会員以外には分けてもらえないらしいからなのだ。はたして闇ルートは存在するのか。
ところで老け込み快感グッズ。テルミーだけに留まらず既にいくつも我が家には定着している。例えばこれも母親の遺品の一つ、湯たんぽ。
若い頃は寝汗を掻くのでまったくお呼びでなかったものだったが、齢五十を過ぎたあたりから布団に入っても足先がなかなか温まらず、そのせいでただでさえ悪い寝付きもさらに悪くなった。そこで湯たんぽを引っ張りだしおそるおそる使ってみるととたんに安眠天国。これほど有り難いものはない、というまでになってしまった。
それから長湯に音楽。湯船に37度前後のかなりぬるい湯を張って湯の花などを混ぜる。熱い湯が好きな人には水かと思うような温度だけれど、一時間ほど浸かっていてもまったくのぼせない。これに脱衣所あたりにラジカセを置いてCD一枚分ぐらいを聴く。これももうやめられない域に達してしまった。その上最近習慣化し始めた腰痛体操なる高齢者向けエクササイズは、終えた後緊張していた筋肉がゆるんで、それが快感に変わっていく瞬間がたまらない。
各々方油断召されるな!老け込めばまた善し。
by digitaris
| 2008-03-10 00:48
| 闇雲