2007年 10月 06日
「むいな日」たちと(其の三) |
<ヘンコ入門3>
未知の世界はレコードだけではなかった。
ケンちゃんにまず連れて行かれたのは天神橋筋商店街の賑わいからちょっと外れた場所にある怪しいシャッター商店街の一角、どこから拾って来たのだか分からんようなこれほんまに売るつもりかいというようなものばかり並べている古道具屋が点在する。ほとんど値札なしだが、付いてるものだけ見ても何十円から高くて千何百円ほど。いくら何十円でも買う気にならんような我楽多ばかりのようだが、確かに地元だったら時々寄って出物を探してしまいそうな場所だ。いやそれよりもただ見て廻ることに意義があるかのようなケンちゃんの口ぶりが興味深く、共感さえ覚えた。
心斎橋の「サカネ楽器」は心斎橋筋商店街の北のはずれの方にあった。長堀通りに今は陸橋となってかかっている「心斎橋」を渡(らなくてもいいが)ったさらに北の方だ。その辺りになると若者の姿もほとんど見かけることがない。確か半地下のようなところにレコード売り場があったと思うのだが、分類の札に「ジャグバンド」のカテゴリー、その上アーティスト名「メンフィス・ジャグバンド」、「ガス・キャノン」とまで細かく分類されてあるコーナーがあったりして驚いた。だいたい東京のレコード屋を隅々まで歩き倒しているわけではないのだから情けない話なのだが、大阪は進んでるなあとその時は単純に思ったのものだ。
しかしなんといってもおもちゃ箱をひっくり返したような(適切なたとえなのか自信はない)天王寺界隈が、案内された場所の中では一番魅せられた。
まず大阪の秋葉原ともいえる日本橋(ニッポンバシ *ここ、東京人が知らずに読むと世界がネジ曲がって見えるかもしれない)。その一角にある「五階百貨店」(五階建てではない)はジャンクの殿堂という趣で楽しいが、何よりその命名がわけもなく関西という異国を思わせるのだ。そこから南へ少し歩けばもう新世界の入り口。お決まりのコース、地下鉄動物園前から猥雑など真ん中の喧噪へいきなり放り出されるのとはまた違う接し方があるとそのとき初めて知った。こうやって入って行くと観光都市風な情緒のある落ち着いた商店街の顔もあるのだと気がつく。商店街入り口脇の阪堺線路面電車の終点の電停も昔懐かしい感じで嬉しくなる。
もうこういう情緒は東京に見当たらなくなったな、とそのとき思ったくらいだから今はいかにというところだ。
明るい昼間に新世界を歩くというのでさえ新鮮なのに、夜では分からなかった別の顔が観えて来たりしてそれも楽しい。
何でもないタバコ屋の奥をちょっと覗くとギター工房があったりする。ここの親父はヘンコで客の顔を見て商売するらしい、とケンちゃん。それでも気に入られたりすると裏の倉庫など観せてくれるそうなのだが、行ってみるとナショナル・スチール・ギター(ブルース、ハワイアンのスライドギターなどに使用する、木ではなくメタル胴で音量を稼ぐためにボディー内部には複雑な共鳴装置が仕込んである)の古びたようなのんが転がっていたりするらしい。なんのことはないケンちゃんも半端に顔見知りらしく気まずいのか、結局その店は素通りのような形になって入れなかったのだが。
新世界より南は歩いたことがなかった。
天王寺動物園の入り口へ向かうちょいと手前で右に曲がると話には聞いていたジャンジャン横町がある。
「このあたりで通りすがりに誰かに肩ぶつけたりしたら因縁つけられっさかい気いつけて歩きや」と言われたが、狭いアーケードは奥に行くにつれて何故かどんどん人通りが多くなり難易度増、ほとんど蟹歩きのような格好ですり抜けて行くしかない。ふっと曲がるとあの独特の香りのするドヤ街に出た。ふうむここが釜ヶ崎だな。横浜にも寿町、黄金町という似たようなエリアがあるが、ここまで歩いてみると規模がふた周りも三回りも違うなあという印象だ。
三角(「ミスミ」と読まないように)公園から萩之茶屋の駅あたりまで、先の天神橋筋の近くにあった怪しげな古道具屋よりさらに二倍も三倍も怪しい店が並ぶ。店といってももはや勝手に道ばたに何か広げているだけといった風情のものから、隣とを隔てる仕切りがあってかろうじて店の体裁を持っているようなものまでバラバラだ。手を触れるのにも一瞬ためらうようなものまであるが、目を引いたものがあって買った覚えがあるのだが何だったか覚えていない。
道すがらケンちゃんはにやにやしながら、こまめに通うと意外なものが二束三文、という出物に当たることもある、高田渡はここでギブソン・ギターの古いのを千円で買い叩いたと自慢していた、というような眉唾物の話まで嬉しそうに耳打ちして来るのだ。着るものなども時々ここで仕入れるらしく、よく観ればケンちゃん達は一見小奇麗なので分からないのだが、何となく薄茶色の労務者風な出で立ちだったりする。かくいう自分も灰色の作業ズボンを普段着に穿いていたりするのだから人のことは云えん。
バブル時代の再開発ブームで犠牲になり、今は時間が止まったようなエリアになっている筈の阿倍野地区にも別の機会に行った。ジャンジャン横町(正確には飛田本通商店街)から不意に脇道にそれ、くねくね折れ曲がった商店街を行ったところに、確か名前は「マントヒヒ」だったと思うが狭い間口に比べてバカでかい音で鳴らすロック喫茶があった。多分旭町か、それとも岸里の方だったか、近辺の全体像が把握出来ていない頃の記憶はまるで夢の世界のようだ。
それから数えるほどしか行っていないが最後に行ったときにはニック・ロウのピカピカの新譜"PURE POP FOR NOW PEOPLE"("Jesus of Cool")がかかっていたのを覚えている。"(Love The Sounds Of) Breaking Glass"が黄昏れて行く迷路のような街によく似合っていた。あれが出たのはそういえばそんな時期だったんだな。
そこを出てから案内されたのが飛田新地だ。おか場所(完全死語)と云われるような所に足を踏み入れたのは生まれて初めてのことだった。
アーケードから曲がって門のような所を抜けると何やらピンク色の空気があたりに充満している。おっとこれはそれほど法螺話でもない。あれは7月半ば頃の大阪の蒸し暑い夕暮れ時だったと思うが、開け放たれた家々の玄関から一様にほの明かいピンクの灯りが外に漏れているのだった。街は何故か碁盤の目のようになっていて開け放たれた玄関の中では例のそのピンクの靄がかかっているのか厚化粧のせいなのか顔ははっきり見極められないのだが、(多分最低限)女性がこっちを向いて座っている。夢の中の世界に迷い込んだようなふわふわした気分で頭は痺れて来るが、これが夢だったらとんでもない夢だ。
「婆さん多いし気いつけや」と別にお客に来たわけでもないなりにまた嬉しそうな耳打ち。そこをぶらぶらやり過ごしながら歩いて行くと街外れあたりに古い、格式のある旅館のような建物がでーんと建っている。
「鯛よし百番」。昔の高級遊郭の名残をそのまま留めている建物だそうだ。一見さんお断りだが皆がよく宴会に利用する飲み屋だという。そういえば何を隠そう毎年天王寺公園野音で行われていた第一期春一番コンサートの最後の回に出演したことがあるのだが、打ち上げは「百番」と聞いていた。その日は宿泊の算段もあって行けなかったのだが、それは残念なことをしたなあとその時後悔した。(後に念願かなうこととなる)
京都はまだ遠い。つづく
註:記憶を辿りながら、地図で確かめながら書いています。
大体は敢えて当時の不正確な認識のままにしてあったりしますが、公開後の少
々の書き足し、削除などもあるので注意してください。
しかし阿倍野地区は再開発以前の資料がほとんどないのが困る。今のうちにもう
一度歩いておきたいのだけれど。
阿部野、西成エリアを総括した商店街マップなど誰か作ってくれないだろうか。
ネットでいくらか検索してみたがそこまでのものはやっぱりなかったなあ。
未知の世界はレコードだけではなかった。
ケンちゃんにまず連れて行かれたのは天神橋筋商店街の賑わいからちょっと外れた場所にある怪しいシャッター商店街の一角、どこから拾って来たのだか分からんようなこれほんまに売るつもりかいというようなものばかり並べている古道具屋が点在する。ほとんど値札なしだが、付いてるものだけ見ても何十円から高くて千何百円ほど。いくら何十円でも買う気にならんような我楽多ばかりのようだが、確かに地元だったら時々寄って出物を探してしまいそうな場所だ。いやそれよりもただ見て廻ることに意義があるかのようなケンちゃんの口ぶりが興味深く、共感さえ覚えた。
心斎橋の「サカネ楽器」は心斎橋筋商店街の北のはずれの方にあった。長堀通りに今は陸橋となってかかっている「心斎橋」を渡(らなくてもいいが)ったさらに北の方だ。その辺りになると若者の姿もほとんど見かけることがない。確か半地下のようなところにレコード売り場があったと思うのだが、分類の札に「ジャグバンド」のカテゴリー、その上アーティスト名「メンフィス・ジャグバンド」、「ガス・キャノン」とまで細かく分類されてあるコーナーがあったりして驚いた。だいたい東京のレコード屋を隅々まで歩き倒しているわけではないのだから情けない話なのだが、大阪は進んでるなあとその時は単純に思ったのものだ。
しかしなんといってもおもちゃ箱をひっくり返したような(適切なたとえなのか自信はない)天王寺界隈が、案内された場所の中では一番魅せられた。
まず大阪の秋葉原ともいえる日本橋(ニッポンバシ *ここ、東京人が知らずに読むと世界がネジ曲がって見えるかもしれない)。その一角にある「五階百貨店」(五階建てではない)はジャンクの殿堂という趣で楽しいが、何よりその命名がわけもなく関西という異国を思わせるのだ。そこから南へ少し歩けばもう新世界の入り口。お決まりのコース、地下鉄動物園前から猥雑など真ん中の喧噪へいきなり放り出されるのとはまた違う接し方があるとそのとき初めて知った。こうやって入って行くと観光都市風な情緒のある落ち着いた商店街の顔もあるのだと気がつく。商店街入り口脇の阪堺線路面電車の終点の電停も昔懐かしい感じで嬉しくなる。
もうこういう情緒は東京に見当たらなくなったな、とそのとき思ったくらいだから今はいかにというところだ。
明るい昼間に新世界を歩くというのでさえ新鮮なのに、夜では分からなかった別の顔が観えて来たりしてそれも楽しい。
何でもないタバコ屋の奥をちょっと覗くとギター工房があったりする。ここの親父はヘンコで客の顔を見て商売するらしい、とケンちゃん。それでも気に入られたりすると裏の倉庫など観せてくれるそうなのだが、行ってみるとナショナル・スチール・ギター(ブルース、ハワイアンのスライドギターなどに使用する、木ではなくメタル胴で音量を稼ぐためにボディー内部には複雑な共鳴装置が仕込んである)の古びたようなのんが転がっていたりするらしい。なんのことはないケンちゃんも半端に顔見知りらしく気まずいのか、結局その店は素通りのような形になって入れなかったのだが。
新世界より南は歩いたことがなかった。
天王寺動物園の入り口へ向かうちょいと手前で右に曲がると話には聞いていたジャンジャン横町がある。
「このあたりで通りすがりに誰かに肩ぶつけたりしたら因縁つけられっさかい気いつけて歩きや」と言われたが、狭いアーケードは奥に行くにつれて何故かどんどん人通りが多くなり難易度増、ほとんど蟹歩きのような格好ですり抜けて行くしかない。ふっと曲がるとあの独特の香りのするドヤ街に出た。ふうむここが釜ヶ崎だな。横浜にも寿町、黄金町という似たようなエリアがあるが、ここまで歩いてみると規模がふた周りも三回りも違うなあという印象だ。
三角(「ミスミ」と読まないように)公園から萩之茶屋の駅あたりまで、先の天神橋筋の近くにあった怪しげな古道具屋よりさらに二倍も三倍も怪しい店が並ぶ。店といってももはや勝手に道ばたに何か広げているだけといった風情のものから、隣とを隔てる仕切りがあってかろうじて店の体裁を持っているようなものまでバラバラだ。手を触れるのにも一瞬ためらうようなものまであるが、目を引いたものがあって買った覚えがあるのだが何だったか覚えていない。
道すがらケンちゃんはにやにやしながら、こまめに通うと意外なものが二束三文、という出物に当たることもある、高田渡はここでギブソン・ギターの古いのを千円で買い叩いたと自慢していた、というような眉唾物の話まで嬉しそうに耳打ちして来るのだ。着るものなども時々ここで仕入れるらしく、よく観ればケンちゃん達は一見小奇麗なので分からないのだが、何となく薄茶色の労務者風な出で立ちだったりする。かくいう自分も灰色の作業ズボンを普段着に穿いていたりするのだから人のことは云えん。
バブル時代の再開発ブームで犠牲になり、今は時間が止まったようなエリアになっている筈の阿倍野地区にも別の機会に行った。ジャンジャン横町(正確には飛田本通商店街)から不意に脇道にそれ、くねくね折れ曲がった商店街を行ったところに、確か名前は「マントヒヒ」だったと思うが狭い間口に比べてバカでかい音で鳴らすロック喫茶があった。多分旭町か、それとも岸里の方だったか、近辺の全体像が把握出来ていない頃の記憶はまるで夢の世界のようだ。
それから数えるほどしか行っていないが最後に行ったときにはニック・ロウのピカピカの新譜"PURE POP FOR NOW PEOPLE"("Jesus of Cool")がかかっていたのを覚えている。"(Love The Sounds Of) Breaking Glass"が黄昏れて行く迷路のような街によく似合っていた。あれが出たのはそういえばそんな時期だったんだな。
そこを出てから案内されたのが飛田新地だ。おか場所(完全死語)と云われるような所に足を踏み入れたのは生まれて初めてのことだった。
アーケードから曲がって門のような所を抜けると何やらピンク色の空気があたりに充満している。おっとこれはそれほど法螺話でもない。あれは7月半ば頃の大阪の蒸し暑い夕暮れ時だったと思うが、開け放たれた家々の玄関から一様にほの明かいピンクの灯りが外に漏れているのだった。街は何故か碁盤の目のようになっていて開け放たれた玄関の中では例のそのピンクの靄がかかっているのか厚化粧のせいなのか顔ははっきり見極められないのだが、(多分最低限)女性がこっちを向いて座っている。夢の中の世界に迷い込んだようなふわふわした気分で頭は痺れて来るが、これが夢だったらとんでもない夢だ。
「婆さん多いし気いつけや」と別にお客に来たわけでもないなりにまた嬉しそうな耳打ち。そこをぶらぶらやり過ごしながら歩いて行くと街外れあたりに古い、格式のある旅館のような建物がでーんと建っている。
「鯛よし百番」。昔の高級遊郭の名残をそのまま留めている建物だそうだ。一見さんお断りだが皆がよく宴会に利用する飲み屋だという。そういえば何を隠そう毎年天王寺公園野音で行われていた第一期春一番コンサートの最後の回に出演したことがあるのだが、打ち上げは「百番」と聞いていた。その日は宿泊の算段もあって行けなかったのだが、それは残念なことをしたなあとその時後悔した。(後に念願かなうこととなる)
京都はまだ遠い。つづく
註:記憶を辿りながら、地図で確かめながら書いています。
大体は敢えて当時の不正確な認識のままにしてあったりしますが、公開後の少
々の書き足し、削除などもあるので注意してください。
しかし阿倍野地区は再開発以前の資料がほとんどないのが困る。今のうちにもう
一度歩いておきたいのだけれど。
阿部野、西成エリアを総括した商店街マップなど誰か作ってくれないだろうか。
ネットでいくらか検索してみたがそこまでのものはやっぱりなかったなあ。
by digitaris
| 2007-10-06 05:51
| 企画・連載