2007年 02月 08日
田舎の葬式 |
こういうものがなんで好きなのかな
葬式は自宅で行った。
冠婚葬祭にはああだこうだ決まり事にうるさい田舎だが、最近の流行、というか通例には逆らえないようで、お通夜は身内だけ、お香典はもらわないという略式だった。
とはいえこの辺りではお坊さんは必ず三人一組でやってきてお経を上げるしきたりになっていて、それは変わらず行われた。
以前、三人姉妹の真ん中の叔母が亡くなった時は葬儀はお寺で行われたのだが、正式の場合はその三人の坊さんが輪になって小さな銅鑼のようなものや木魚(太鼓かもしれない)などを抱えて打ち鳴らしながらぐるぐる回り、回りながら合唱でお経を唱えるという賑やかなものだった。出棺の前には血縁の男三人が、本堂の前の地べたに土下座して口上を言わされたりといろいろ見慣れない式次第があって、突然呼び出されその三人の中に加えられ、訳も分からないまま土下座をした覚えがある。
今回は狭い家なので輪になってぐるぐる回るというわけにはいかなかったのだが、それにも略式があって、三人の坊さんは入れ替わり立ち上がったり座ったり、僅かに場所を移動したりと読経には必ず動きを加えることを欠かさない。読経の声もそれぞれが高低を分担していて、場面場面にオクターブやら五度ほど下げた音程やらを使い分け、唄うように唱えるのが心地よい。
一人低音担当のお坊さんが非常にいい喉をしていて聴き惚れてしまい、式が終わってからもそういうことが皆の話題になったりするのだが、そのくらいエンターティメントの要素が強い葬式なのだ。
都会の簡単な読経などに比べて遥かに長い時間皆正座して耐えていなければならない(最近は胡座をかいても許される)のだが、それをしっかり補うくらい興味のつきない内容なのが何か清々しいものを感じる。
よくよく見ればやっぱり葬式向け
通夜の晩はうなぎ飯が振る舞われる。
蒲焼きのうなぎを細くぶつ切りにして、たれと一緒にご飯に混ぜる。正式の場合はこの大量のご飯を近所の主婦が総出で寄り合って作るのがしきたりだ。今回は仕出し屋に頼んだが、全く変わらない味なのが嬉しい。
焼き場で待っている間にもご飯を出す。
これは仕出し屋に注文したこの地方独特のてこね寿司の折詰めを出す。
てこね寿司とは、鯵や鰹の刺身をしょうゆ漬けにしたものを、刻んだ大葉や生姜と一緒にすし飯に混ぜ込むちらし寿司だ。うなぎ飯は確か葬式やお盆の時などだけに出されるのだと思うが、このてこねはハレの日には必ずといっていいほど振る舞われる御馳走だ。
これにはそれぞれの家庭によって微妙に違う製法があって面白い。
仕出し屋のものはたまり醤油など使ったもので、僕らの口には少々甘すぎる。観光用に表立ったものはだいたい鰹の刺身を使うが、家庭では安い鯵を使うのが普通だ。
この辺りの小鯵はとにかく新鮮で美味しいのだが、大量の小鯵をさばくのは一苦労で、僕の場合は自分でやる時はめげて鰹で済ませてしまう。
横浜も鯵は新鮮なのが入るので、いつか美味しい小鯵のてこねを作るぞ、とその時思うのだがあたりまえのように未だ実現していない。
美味しい鯵と魚をさばける友人が何人か居る時にきっとね。
雑煮の汁に焼き餅を一つだけ入れ、あとは大好きな磯辺巻きにして何個もほお張り、冬が好き夏は苦手と言いながら、てこねのことを思うと早く暖かくなってほしいとも思う。
食い物の欲はどうにもしようがないようだな。
やっぱりこれが一番美しい
by digitaris
| 2007-02-08 12:26
| 日の丸観光