2006年 09月 07日
旧世代の記憶 |
しつこく続けた能登島の一日拡大版。ようやく今回で打ち止め。新たな話のネタが出てくるまでまたしばらくお留守となります。ご安心あれ。
しばらくとはいつまでのことか、もしかしたら明後日くらいに復活ということもあるやもしれず。ご安心召されるな。
能登島の一日、最後のイベントは『Theatre musicaの映画館』というもの。
はるばる輪島のイシクラゲ宅にお邪魔する日にたまたまスケジュールが重なってしまったのでついでに僕も参加することにしたのだった。
Theatre musicaという集団は全く聞いたことがなかったのだけれど、東京六本木にあるギャラリーが拠点らしく、音楽と映画を合体させたようなイベントやオリジナルのCD等を取り扱っているらしい。それが何故能登島のようなところへ出張して来たのかは知らないが、今回の出し物はおなじみメリエスの『月世界旅行』と溝口健二の『東京行進曲』。この二つの無声映画にライブ演奏で劇伴(映画の場合はなんというのか知らんので仮に)を付けるそうな。
『月世界旅行』はノートパソコンをいじりながらのDJライブ(こういうのも言い方を知らんので仮に)だったが、いわゆるダンスフロア向けのものでなく力の抜けた感じのものだったので意外によかった。まあこういう映画には他にやりようというのがないのかもしれない。
『東京行進曲』は映画自体フィルムが失われ、戦後観ることが出来なかったという幻の作品だったのが、最近パリで一部が発見されたということで楽しみにしていた。その30分程度の復元版はかろうじてあらすじが分かる程度のものなので、内容に関して何処がいいのかということ等考えられないようなものだったが、小津安二郎などと同じく溝口の若い頃の作品も映像的にメリハリが利いていて当時は超モダンな実験的作品として映ったのではないかという想像くらいは出来た。ほんとうのところはどうか分からないが。
劇伴はピアノの生演奏に「からくり楽器」と自称されたもの、それをミキサーの卓でかませたサンプリングやエフェクトを駆使した演奏だった。
「からくり楽器」というのはなんといったらいいのか、僕はそういうものを造ったことはないが子供の頃に夏休みの図工の宿題等の発表で見かけたものに似ていた。滑り台やシーソー等組み合わせて造ったタワー状のオブジェと言えばいいのか、上からパチンコ球を落とすと幾つもの難関を通り抜けて下の箱に転がり込むといったようなものだ。今回観たものは成人の腰辺りまであるようなかなり大きなもので、球はスマートボールかピンボールくらいの大きさだった。
途中の幾つかの難関(と云えるようなものではないが)に集音マイクが据えられていて、球がそこを通過した時にカタンとかカラカラという音を出すのだが、それがミキサーの幾つかのチャンネルに繋がっている。それの音量を操作したり、サンプラーあるいはループマシンにリアルタイムで録音したものの一部を切り取って繰り返させたり、またはディレイをかけたりする。そしてそういう趣向からすると意外にオーソドックスなピアノ演奏と絡めるというものだった。
映画がドラマチックな展開になるとそれなりにドラマチックなアレンジが用意されていて、楽器のありようからすると何となく微笑ましいものを感じてしまうのも、それによってふとここが能登島のとある公民館の中なんだったっけ、と更に現実に引き戻されてしまうということで二重に微笑ましい。
あ、これは皮肉じゃない。
話はもう能登から離れてしまうのだが、最近NHKBSで溝口健二の特集があったのは偶然なのかそうでもないのか、まあそれはいいとして古いビデオテープをたくさんつぶしてかなりの作品を録画した。
新藤兼人の『ある映画監督の生涯——溝口健二の記録——』を観ると当時のスタッフの証言の中に「溝口は徹底したリアリズムにこだわる完全主義者だったので、時代物の制作においては最後まで違和感を抱いていたようだ」というようなものがあった。僕が今まで観ていたのは『山椒大夫』や『近松物語』等の時代劇作品だったので、同時代を扱った作品というのに興味を覚えた。
先の『東京行進曲』を観て感じた瑞々しさというか人物が生き生きとしていてカラッとした雰囲気のある印象が、やはり戦後作品の『祗園囃子』や『噂の女』等にも感じられて、また新たな溝口作品の面白さにはまりつつあるのだけれど、その辺りの作品は舞台が同時代の京都を扱っているということも大いに興味を引かれる要素だった。
初めて京都を訪れたのは昭和26年生まれの僕が小学校に入るか入らないかの時代、二条城の前をクラシックなチンチン電車が走っていたという記憶にさかのぼる。
『赤線地帯』(昭31年)に触れられている売春防止法が施行されたのが昭和33年。
『祗園囃子』(昭28年)のタイトルバックにゆっくりとパンされて映し出される祇園の町並み。
僕の中にある「旧世代」の記憶だ。
しばらくとはいつまでのことか、もしかしたら明後日くらいに復活ということもあるやもしれず。ご安心召されるな。
能登島の一日、最後のイベントは『Theatre musicaの映画館』というもの。
はるばる輪島のイシクラゲ宅にお邪魔する日にたまたまスケジュールが重なってしまったのでついでに僕も参加することにしたのだった。
Theatre musicaという集団は全く聞いたことがなかったのだけれど、東京六本木にあるギャラリーが拠点らしく、音楽と映画を合体させたようなイベントやオリジナルのCD等を取り扱っているらしい。それが何故能登島のようなところへ出張して来たのかは知らないが、今回の出し物はおなじみメリエスの『月世界旅行』と溝口健二の『東京行進曲』。この二つの無声映画にライブ演奏で劇伴(映画の場合はなんというのか知らんので仮に)を付けるそうな。
『月世界旅行』はノートパソコンをいじりながらのDJライブ(こういうのも言い方を知らんので仮に)だったが、いわゆるダンスフロア向けのものでなく力の抜けた感じのものだったので意外によかった。まあこういう映画には他にやりようというのがないのかもしれない。
『東京行進曲』は映画自体フィルムが失われ、戦後観ることが出来なかったという幻の作品だったのが、最近パリで一部が発見されたということで楽しみにしていた。その30分程度の復元版はかろうじてあらすじが分かる程度のものなので、内容に関して何処がいいのかということ等考えられないようなものだったが、小津安二郎などと同じく溝口の若い頃の作品も映像的にメリハリが利いていて当時は超モダンな実験的作品として映ったのではないかという想像くらいは出来た。ほんとうのところはどうか分からないが。
劇伴はピアノの生演奏に「からくり楽器」と自称されたもの、それをミキサーの卓でかませたサンプリングやエフェクトを駆使した演奏だった。
「からくり楽器」というのはなんといったらいいのか、僕はそういうものを造ったことはないが子供の頃に夏休みの図工の宿題等の発表で見かけたものに似ていた。滑り台やシーソー等組み合わせて造ったタワー状のオブジェと言えばいいのか、上からパチンコ球を落とすと幾つもの難関を通り抜けて下の箱に転がり込むといったようなものだ。今回観たものは成人の腰辺りまであるようなかなり大きなもので、球はスマートボールかピンボールくらいの大きさだった。
途中の幾つかの難関(と云えるようなものではないが)に集音マイクが据えられていて、球がそこを通過した時にカタンとかカラカラという音を出すのだが、それがミキサーの幾つかのチャンネルに繋がっている。それの音量を操作したり、サンプラーあるいはループマシンにリアルタイムで録音したものの一部を切り取って繰り返させたり、またはディレイをかけたりする。そしてそういう趣向からすると意外にオーソドックスなピアノ演奏と絡めるというものだった。
映画がドラマチックな展開になるとそれなりにドラマチックなアレンジが用意されていて、楽器のありようからすると何となく微笑ましいものを感じてしまうのも、それによってふとここが能登島のとある公民館の中なんだったっけ、と更に現実に引き戻されてしまうということで二重に微笑ましい。
あ、これは皮肉じゃない。
話はもう能登から離れてしまうのだが、最近NHKBSで溝口健二の特集があったのは偶然なのかそうでもないのか、まあそれはいいとして古いビデオテープをたくさんつぶしてかなりの作品を録画した。
新藤兼人の『ある映画監督の生涯——溝口健二の記録——』を観ると当時のスタッフの証言の中に「溝口は徹底したリアリズムにこだわる完全主義者だったので、時代物の制作においては最後まで違和感を抱いていたようだ」というようなものがあった。僕が今まで観ていたのは『山椒大夫』や『近松物語』等の時代劇作品だったので、同時代を扱った作品というのに興味を覚えた。
先の『東京行進曲』を観て感じた瑞々しさというか人物が生き生きとしていてカラッとした雰囲気のある印象が、やはり戦後作品の『祗園囃子』や『噂の女』等にも感じられて、また新たな溝口作品の面白さにはまりつつあるのだけれど、その辺りの作品は舞台が同時代の京都を扱っているということも大いに興味を引かれる要素だった。
初めて京都を訪れたのは昭和26年生まれの僕が小学校に入るか入らないかの時代、二条城の前をクラシックなチンチン電車が走っていたという記憶にさかのぼる。
『赤線地帯』(昭31年)に触れられている売春防止法が施行されたのが昭和33年。
『祗園囃子』(昭28年)のタイトルバックにゆっくりとパンされて映し出される祇園の町並み。
僕の中にある「旧世代」の記憶だ。
by digitaris
| 2006-09-07 20:22
| 日の丸観光