2010年 10月 21日
ノルウェーの鯖 |
スーパーから路地もののピーマンが消えた。路地もののピーマンは肉厚で大型になるので天ぷらなどにすると美味い。夏バテ知らずと自慢していたくせに、今年は猛暑が延々長引き慢性的な寝不足になってボロボロだったが、それでも茄子トマトピーマンカボチャなどの路地ものの夏野菜をもりもり食べてなんとか乗り切ったようなものだ。ビニールハウスものだろうか、今並んでいる宮崎産の貧弱な型のピーマンをみると夏野菜ともとうとうお別れかと少し寂しくなるが、代わりに固く身の詰まった茄子が美味しくなってきたのが嬉しい。
ピーマンを味噌汁のタネにすると美味いのは最近知った。中華料理では味噌炒めなどがあるくらいなので元来味噌とは合うはずなのだが、味噌汁に入れるという発想はなかなか出てこなかった。何もタネがないときキャベツなどを入れてみるのだがこれはいまいちだと思っている。キャベツもみそ炒めがあるのでピーマン同様いけるはずだと思うのだが、その論理はどうやらすべてに通用するものではないらしい。しかしキャベツの味噌汁が好きという人もそりゃあ居るはずだろうし、人の食体験、舌の感覚というのは千差万別。例えば僕などはジャガイモの味噌汁がこの上なく好物なのだがもしかしたらそれはあたりまえではないのか、多分これはうちの親が北海道や樺太と深い縁を持っていたせいだからかもしれない。この間も博多沖に浮かぶ渦巻島というところで密輸業者相手のカジノを経営している友人が、北海道産のアルコール漬けウニ(僕は「北海道の塩ウニ」と呼んでいるが)が不味くて食べられないと言っていたが、彼らは味醂などで味付けした(わりとあたりまえの)瓶詰めウニは大好きだ。逆に僕は以前そのあたりまえのウニにはなかなか馴染めなくていつも北海道産のそのウニをほかほかの白ご飯でいただくのを夢見たりしていたものだ。もちろん今はどっちも大好物ではあるけれど、上等品となれば滅多に口に入るものでないのも確かではある。
味噌汁にピーマンというならトマトに味噌をつけて食べるという発想もある。これもわりと最近覚えた食べ方だがすこぶる美味い。もちろんあるときビール片手にキュウリに味噌をトマトに塩をなすりつけて食べていて、ふとトマトにも味噌をつけてみようと思い立ったのが始まりなのだが、興味のある方はお試しあれ。とはいえ最近あの日向臭い香りのするほんまもんの路地トマトが、この辺りでも手に入りにくくなっているのは寂しいことだ。
ところで話はポンと飛ぶが、これも食い物の話。ずっと常食にしている塩鯖なのだが何故かノルウェー産。脂がのってプリプリしていて美味い。塩漬けの魚は家庭用冷蔵庫でもしばらくは冷凍保存が利くので安売りのときに買い貯めたりしていたのだが、このところの不況のせいか安売りが出回らなくなっているようだ。食生活もとことんケチらねばならない状況なので、あるとき半額で出ていた近海ものの鯖を自分で塩漬けにしてみた。ちょっと塩をまぶしすぎて塩漬けそのものは若干失敗に終わったのだが、焼いてみるといつも食べていたようなプリプリした身の食感にはほど遠かった。ノルウェー産ともなれば北極圏に近い北海の、海水温は非常に低いものだろうし、そのせいで鯖にも特別脂がのっているのかもしれない。
秋刀魚は目黒、鯖はノルウェーにかぎる。
刷り込みからいきなり解放されたといえば『ノルウェーの森』という曲も勘違いが発覚したのは(恥ずかしながら)最近のことだ。
Norwegian Woodという英語を日本人なら普通「ノルウェーの森」と訳すだろうしそれを別に恥じることはないと思うのだけれど、イギリス人からしてみるとそれは間違いで「安物の家具」となるらしい。昨今の日本的庶民感覚で云えば多分、Do It Yourself 的なスーパーで売られている薄ベニヤで出来たハリボテの組み立て家具のようなものに相当するのだろうと思う。程度こそ違えそういうものを総じてイギリスでは「Norwegian Wood」と言う(っていた)らしい。仮にジョンが日本人だったとしたらハシヅメ、いやさしづめ「パプアニューギニアの森」とでもなるところか。
「ノルウェーの森」という今まで刷り込まれてきた感覚からこの曲の内容は、自立心旺盛なヒッピー風の女性と知り合って自宅に誘われ、絨毯の上にじかに座ってワインを進められまあなんとなく一服なんぞきめてリラックスしたところで暖炉に火が付いたら、なんだかトリップして彼女の云ううっそうとしたノルウェーの森の中の一軒家に居るみたいな気分になった、なんて具合に解釈していたのだけれど、「安物の家具で趣味よく飾られた部屋だが、なかなかわるくない」とでもイメージし直したら、何となく現実感が出てくるものだ。「明日は仕事だから」と言って早く寝てしまうし実際起きてみたら彼女はもう居なかった、なんてまるで僕らの誰にも体験のある話(だからといって風呂場で寝たりはしないが)のよう。そういうわけで、だからそんな現実感漂うだけの話なのかというとさっきの勘違い訳でも決して筋が通らないこともないわけで、あのジョンのことだから「ノルウェーの森」というダブルミーニングをもちろん挿み込んでいるに違いない。ということは日本のこの訳は、結果的に勇み足とはいえ何となくのっけからいきなり曲の本質をわしづかみにしているのではないかという気にさせて、勝手に誇らしい。
今までずっとそう思っていたことが、あるときそうではなかったことに気づかされる。未知のものを初体験するときと同じくらい感覚が刺激される瞬間だ。しかも相手が長い間馴染んでいた事象だけに、その瞬間のイメージの崩壊とその後の広がりとをわりと冷静な目で味わい尽くすことが出来る、こんなことはこれからも何度もやってきてほしいものだな。まあその分自分がどれだけ粗忽者であるかという証明にもなるわけだが。
*************
それをミルトン・ナシメントで、というのは、いかが?
-----------------------------------------------------------------
by digitaris
| 2010-10-21 21:31
| 映画・音楽・アート