2009年 08月 23日
みずみずしい未来 |
以前にも話したことがあっただろうか、『アビス』というSF映画を観たとき、人間が深海に潜って行くために肺に水を入れてもエラ呼吸のような具合に呼吸出来る方法を開発し、それを実際に試すというシーンがあった。映画そのものはいかにもハリウッド製SFという趣で夕食にマック・バーガー山盛り食わされているようなものだったけれど、そのシーンだけは妙に記憶に焼き付いてしまった。特に「大丈夫だから」と言われ思い切って肺に海水を入れてしまったときに、はじめもがき苦しみはするもののすぐに馴れていくというようなくだりが克明に描写されていたのが面白く、そこを何度も繰り返して再生したりした。
昔、プールの縁に立って、今日はやっちゃると決意しつつ、生まれて初めて頭から水の中へ飛び込みをしようという直前の、あの決断の瞬間を思い出したのだ。
高校の頃のことで記憶が薄くなっているが、安部公房の『第四間氷期』を読んだときに地球の歴史には氷河期と間氷期の交互のサイクルがあることを知った。その話の中では、冒頭の「今」という時点ではこれから氷河期に向かうのか極地の氷が溶けて行くような間氷期へ向かって行くのか解っていないということが前提であったような気がする。ノアの洪水があったのだからこれからは氷河期へ向かうのだと言う者もいれば、いやノアのあとに一度氷河期が来ていると言い張る者もいる。実際のところ現実にどう予測が立てられているかは知らないが、小説では間氷期へ向かって行くという結果になって地球上のほとんどの陸地が水没してしまうのだが、人間も環境に適応させて身体機能が水中で暮らせるように変化(サイボーグ化)して行くというようなことになる。
ヒトはずっと昔海で暮らしていたことをまだ忘れていない。僕らの指の間に少しだけあるひれが退化したような名残の膜を見れば想像出来るようにだ。
夏に皆あたりまえのように海水浴へ行くというのは、娯楽、スポーツなどというより「習慣」のような気がしている。海で仰向けに大の字に身体を拡げるとプッカリ浮かんだまま波に身を任せていられるが、この気持ちよさを覚えると病みつきになる。不思議な安心感、あるいは郷愁のようなもの。本当は海に戻りたいんじゃないか。
今年は一月からずっと雨が多く、深夜の仕事だが合羽を着ることが多かった。土砂降りの中合羽を着て雨に打たれているときにいつも『第四間氷期』のことを思い出す。耳を塞ぐ猛烈な雨音と強烈な湿気。このまま雨がやまずに陸地が水没して行くイメージの中に恍惚とひとり佇んでいるのだ。
実際北極の氷は溶けて行っているらしいし、高山では氷河が消えて行く。さて僕らの道はこれから氷河期、間氷期、どっちへ向かって行くのか、そんな議論が今度の選挙によってようやく決着がつけられる、というわけでもない。
ノアの洪水が出たところでChad & Jeremyを
昔、プールの縁に立って、今日はやっちゃると決意しつつ、生まれて初めて頭から水の中へ飛び込みをしようという直前の、あの決断の瞬間を思い出したのだ。
高校の頃のことで記憶が薄くなっているが、安部公房の『第四間氷期』を読んだときに地球の歴史には氷河期と間氷期の交互のサイクルがあることを知った。その話の中では、冒頭の「今」という時点ではこれから氷河期に向かうのか極地の氷が溶けて行くような間氷期へ向かって行くのか解っていないということが前提であったような気がする。ノアの洪水があったのだからこれからは氷河期へ向かうのだと言う者もいれば、いやノアのあとに一度氷河期が来ていると言い張る者もいる。実際のところ現実にどう予測が立てられているかは知らないが、小説では間氷期へ向かって行くという結果になって地球上のほとんどの陸地が水没してしまうのだが、人間も環境に適応させて身体機能が水中で暮らせるように変化(サイボーグ化)して行くというようなことになる。
ヒトはずっと昔海で暮らしていたことをまだ忘れていない。僕らの指の間に少しだけあるひれが退化したような名残の膜を見れば想像出来るようにだ。
夏に皆あたりまえのように海水浴へ行くというのは、娯楽、スポーツなどというより「習慣」のような気がしている。海で仰向けに大の字に身体を拡げるとプッカリ浮かんだまま波に身を任せていられるが、この気持ちよさを覚えると病みつきになる。不思議な安心感、あるいは郷愁のようなもの。本当は海に戻りたいんじゃないか。
今年は一月からずっと雨が多く、深夜の仕事だが合羽を着ることが多かった。土砂降りの中合羽を着て雨に打たれているときにいつも『第四間氷期』のことを思い出す。耳を塞ぐ猛烈な雨音と強烈な湿気。このまま雨がやまずに陸地が水没して行くイメージの中に恍惚とひとり佇んでいるのだ。
実際北極の氷は溶けて行っているらしいし、高山では氷河が消えて行く。さて僕らの道はこれから氷河期、間氷期、どっちへ向かって行くのか、そんな議論が今度の選挙によってようやく決着がつけられる、というわけでもない。
ノアの洪水が出たところでChad & Jeremyを
by digitaris
| 2009-08-23 18:16
| 反復ラブ