2009年 05月 15日
禿頭毛無山に枕しひねもす富士見不二見かな |
「OSHINO DEAD」の「OSHINO」とは「忍野」という地名から採ったのだと思われるが、忍野という土地は富士の北東側山中湖の近くにあって、よくは知らないがその辺りで第一回目が開催されたのだろう。今回の開催地は時計の針をぐっと進めて富士のだいたい西北西くらいのところに廻って来ているようだ。途中経過は知らないがこのまま行くと12時を回ってまたいつの日か忍野の地に戻って行くのかもしれないぞ。
ここは地名で言うと朝霧高原の中にあるふもとっぱらというところらしい。ずいぶん前、139号線を河口湖の方から下ってこの近くを通り過ぎたことがある。ちょっと手前の本栖湖のあたりを走っているときに「上九一色村」の看板を見つけ、ああここがそうなのかと思いつつ横目でやり過ごしそのまま東名高速に乗って京都に向かったはいいのだけれど、日本坂トンネル内で突然後輪のタイヤ(三日前に新調したばかり)が一本クラッシュした。(ほんとーっに)幸い前輪駆動のクルマだったのと折しも渋滞中でスピードも遅く、トンネル出口のパーキングまでなんとか無事に辿り着くことが出来た。後にそれを「たたり」と呼んで吹聴して廻ってみはしたが誰も面白がるものはいなかったとさ。冥土の土産にとっておきたい人生必要無駄のひとつ。
ロケーションが面白い。富士の裾野を正面に富士川の流れを背にして、まるで蝙蝠か大鷲が羽根を一杯に広げたような天守山地、そのほぼ真ん中の丁度鷲の頭といえるような位置に最高峰毛無山(そこに居る間はずっと愛鷹山と勘違いしていた禿頭)がすっくと立っている。その毛無山の懐、両側に腕のような尾根が突き出たその真ん 中の谷間に、元は牧場だったのだろう広大な原っぱが広がっている。
野外ステージは正面が真直ぐ富士に向けられていて、そのステージと富士の中間にテントサイトが設けられているという具合だ。まるで大鷲の羽の中に抱かれカウチポテトで富士を眺めるといった極楽気分。
ステージの演奏を枕に日がな富士を眺めるという自由、方やテントの中で何もかも忘れ昏々と爆睡する自由。あれもそれもこれもまたまたよきかなよきかなまたよきかな。 下手くそな図だがこんなイメージ
富士山は関東圏からすれば結構近在の山だし、横浜の僕の住んでいるところからは晴れていれば丹沢山塊や箱根の山々が居並ぶ屏風の向こうにひときわ高い台形を突き出しているのがよく見える。そんななじみ深い山だけれども、こうやって富士の裾野で一晩過ごしたりするのは意外に初めてだったと気が付くのだ。丹沢は登山、箱根は温泉と一応の目的ははっきりしているのだけれど富士となると登山はそう気軽に行けるような気はしないし、定番の河口湖や山中湖でのリゾートというのも僕にはあまり魅力的には思えなかったのだろう、「富士に遊びに行く」という発想が元からないのだ。これはもしかしたら富士は神の宿るヤマであって気軽に遊びに行く場所ではないというような古代人の「畏怖」のようなものが潜在意識に働いているからだ、という風に思い込んでみるのも楽しいかもしれない。人の世の、古くは縄文時代にも富士は何度か噴火を繰り返していたらしい。
まるでお椀を伏せたような形の山が多分小富士、大室山だ
富士は単独でただひとつ富士山だけがそこに立っているわけではなく山腹にへそのように飛び出た宝永山、裾野に「小富士」とあだ名してもいいような可愛らしい噴火口をもつ大室山、隣に列ぶ愛鷹山などいくつかの小火山を抱えている。東名高速などで御殿場から沼津へ降りて行く辺りの広大な景色を眺めていると、広い富士の裾野の斜めのカーブに重なって逆方向からの同じく裾野のようなカーブが交差しているのが見える。その裾野を持つ山は富士のような奇麗な形ではなくギザギザの小さな峰を幾つか持った山なのだけれど、想像力を働かせて観直すと元々富士のような奇麗なコニーデ式の山容を持っていたのが、あるときの大噴火で頂上の部分を吹き飛ばされてしまったのだと気が付く。愛鷹山だ。さらに走って沼津の近くあたりから振り返ってみると(くれぐれも運転中に振り返らないように)右手に箱根の山が見えるのだけれど、そうか、箱根の山も同じように頂上部分を吹き飛ばされた(あるいは陥没した)山だったことに気付くのだ。そうすると古代(といっても僅か何十万年か前程度の話になるのだろうけれど)のある一時期、この辺り一帯は富士山級のコニーデ式火山がポンポンポンと三つ列んで立っていたことがあるのかもしれない。そんな恐ろしくも美しい壮大な景色を今想像してみることは意外に容易だ。
関西に住んでいると火山というものに馴染みを持たないということに、横浜に戻ってからはたと気づいた。伊吹山も元は火山らしいが地元の者からして火山のイメージを持っているのかどうか怪しいほどだ。一番近くで思い当たるそれらしい火山といえば伯耆大山になるだろうか、それでもずいぶん遠いところにある山に感じる。それに比べると関東は、関東平野自体が火山に囲まれていると言ってもおかしくないほど火山が身近にあるのに気付くのだが、それも関西に長いこと住んでいたからこそ意識出来ることだ。火山というのは大雑把に言えば遥か地下深くのマグマがプレートの隙間を通って地上近くまでしみ出して来ているようなものだから、場所によっては地磁気に影響が出ているところもあるという話も聞く。それを思うと富士のような巨大な火山の懐で地べたに身体を横たえて眠るということは、同時に身体に何らかの影響をもたらしているのだと考えられないこともない。テントに降り注ぐ強い日差しで大汗をかきながらも爆睡出来るといったことや(単に寝ていなかっただけ)、何より心身ともに清々しく神通力満タンになったような覚醒感(ありがちな旅の高揚感)はまったくもってそれのおかげだと今はそう断言しておこう。
祭りのあと、キャンプをたたんだ日暮れどき、帰り際に人の誰も居ない野っ原に行きたくて会場からさらに奥の細道へ走った。「東海自然歩道」と看板が立っている別れ道をしばらく進むと本当に誰もやって来ないような広大なすすきの原のような場所に出た。クルマを脇に止め歩いて野原を奥の方まで分け入る。多分野焼きで草がほとんど苅られてしまったような広場に野球のマウンドのようにちょっと小高くなった場所があって、そこにへたり込むと座ったままでも夕暮れの富士が見える。日がな富士を眺めていると富士は青を基調に色を何色にも変化させ、その度にいちいち感動していてはしまいに情緒を失調してしまうのではないかと疑うほど何度も目を釘付けにして来た。今ここで観る富士が今回の富士詣での最後の富士になるのだけれど、今朝方まだ暗いうちに観た青暗い幻のような富士とはまた違った深い陰影をたたえて座っている。こういう悠長な時間の流れをずっと長いこと持てなかった反動が出たのか、嬉しげにやたら長いことそこに座ったままでいると、すぐ近くのあちこちで小鳥の薮で戯れるようなさえずりに混じって鷺だろうか大型の鳥がたまにギャアと叫ぶのが聞こえはじめ、するとすぐ後ろの草むらで鹿か猪らしき鼻息が聞こえて来たりもする。闇夜を迎える前の夕方は動物の活動も活発になるのだなあと考えを巡らせるそのそばから、すとんと一気に暗闇が降りた。
by digitaris
| 2009-05-15 00:16
| 自然石クラブ