2008年 09月 03日
灼熱の東京散歩(前編) |
東京へ行くのに横浜からだったら崎陽軒のシウマイ弁当を抱えて湘南電車に乗るのが正統だが、シウマイ弁当(醤油差しの「ひょうちゃん」は?)はともかく、もうあの緑とオレンジのツートーンカラー、そのうえ車両の前と後ろにだけドアとデッキのある客車に乗れる可能性はおそらくゼロだ。東京駅で国電(死語)に乗り換え、まず上野駅で昔の状態でそのまま残る終点ホームの大ホールを観に行く。山の手京浜東北ホーム階段下の頭上注意の通路、その通路脇の半地下の様になったところに映画やテレビドラマにもよく登場した食堂があった(記憶が正しければ)。通りがかると寄ってラーメンを啜ったものだが今は讃岐うどん屋に代替わりしていてがっかり(北方の象徴上野駅で讃岐うどんはあかんのとちゃうか)。そこを通り過ぎて階段をさらに下りていくと中央改札口のある大ホールに出る。上野駅は変形の二階建てになっているのだ。新幹線が通ってしまったのでどうなったかと思っていたが古い駅舎と共にホームがそのままの形で残っているのが嬉しい。写真を撮りそびれたので口上で御免。
「終点ホーム」とは昔で(今は?)言えば信越・上越本線に至る高崎線、東北本線、常磐線の終点のホームが奇麗に横並びになっているのを勝手にそう呼んでいる。それぞれの線路が終わったところですべてのホームが繋がっていて、そこから中央改札口迄が広場になっている。昔はそこに特急や急行の個別の立て札が立てられ、乗客は先着順にそこへ並ぶ。発車準備が整うと係員を先頭にその列を保ったまま各ホームへゾロゾロと行進して(最後は走る)順番に列車に乗り込むという算段だ。のどかな時代。それでも乗車率の高い列車になると前の晩から泊まり込みで並んだりするので油断がならない。北海道まで行くのに仙台を発車するくらい迄は席に座れないこともあった(デッキは満員立ちっぱなし、客室は通路の床にも新聞紙を敷いて座るのでトイレへ行くにも気合いを要す)。もうそんな旅は多分出来ないだろう、帰ってから『点と線』でも観ようか。
(上野駅の画像は「鉄道のある風景」という素晴らしいサイトで観れます)
地下鉄(「東京メトロ」なんて終生馴染んでやるものぞ)銀座線で浅草。銀座線は駅の手前で必ず一瞬電気が消えるのが楽しかったがあの旧式の黄色い車両と共にそれももうない。地下鉄浅草駅は通路の脇をすっと入ると昔の地下街がまだ残っている。既に人通り寂しくシャッター商店街の様相を呈する。
ひとまず昼飯、ということで並木の薮へ。久しぶりのこの煮切ったような濃い濃い蕎麦つゆ、これは蕎麦をあて(つまみ)に一杯やるための味付けのような気がしてならない。◯ろさんがいける口だったらここでお銚子一本、突出しにしか出て来ない名物蕎麦味噌を嘗めたいところだがあいにく相方は下戸断念。付き合いのいい自分のああ小ささよ小ささよ。
並木通りからだとそのまま雷門。仲見世から浅草寺。六区を見たいと言う連れにはこちらも当然望むところで境内を左手方面。五重塔通り木馬亭の脇道を入って西参道、初音小路、花屋敷通り商店街と固まって並んでいるレトロな商店街をわざわざ回り道で六区。汗もまだかき始めでなんだけれど「浅草観音温泉」には後ろ髪を引かれる。今度はちょっとした風呂セットでも持参で来たいものだ。
(写真左上:大衆演劇場木馬亭のポスター。「関敬六(右上の黒枠)三回忌追悼公演」とある、ううむ。)
(写真右:木馬亭の脇の路地を入った真裏、西参道との角にある衣装屋。二人三脚で成り立っている趣。)
さてどうしようと、ここから行き当たりばったりの行程が始まるわけだが、小生やおら取り出したる文庫本『赤線跡を歩く』(木村聡・ちくま文庫)。じゃあ試しに色街跡など辿ってということで吉原三谷墨田川玉ノ井というコースでどうでっしゃろ。すかさず「よろしなあ」とこういうこと(助平の方ではないよ)には話が早い。
券売り場があって、ここは真っ昼間からほろ酔い
サロンと化している。
◯ろさんも薄々そのつもりがあったようで、というのも僕の建築の興味やら観たものを写真で記録する習慣やらは京都時代の◯ろさんとの付き合いから始まったものなのだ。京都に移り住んですぐ、なんやかやと音楽の現場で一緒にやって来て、最後はジギタリスも手伝ってくれた。音楽以外の諸々の分野ではある意味◯ろさんから触発されたことも多いくらいで、以心伝心なところは少なからずある。それ迄の生活の中にも趣味的な部分に多く時間を割いて来たが、京都へ移住してからは更なる生活苦で音楽をするだけで精一杯だったのだ。そういう意味では貧乏生活に余裕を見出すことを知らせてくれた◯ろさんには感謝しなければならないね。
写真の現像焼き付けを始めたのも◯ろさん。中古屋で安い一眼レフを手に入れ、フィルムは大巻の一缶単位で買って空のパトロネに手巻きで装着する。夜中に引き延ばし器を持っている友達のところを襲って溜まったフィルムを一気に仕上げたこともある。結局なんやかや中途半端に終わってしまったけれど、今はデジカメプラスPhotoshopで似て非なるようなことをしている。一度酢酸の匂いにまみれた身でデジタルなんてお手軽過ぎるのは分かっちゃいるが、今の僕の身分にはこんなもんが丁度いいのだから仕方がないさ。
by digitaris
| 2008-09-03 16:43
| 東京散歩