2006年 11月 17日
前屈み |
40歳を超えたあたりの頃、バンドのライブを録ったビデオを観て驚いた。と言うより背筋に寒いものが走ったと言う方が当たっているかもしれない。
1990年初頭のことだからそれまではあまり個人持ちのビデオカメラなど普及しておらず、ライブの後にその映像を観るということはほとんどあり得なかったから、自分の演奏する姿などあまり意識したことがなかった。
早い話が突然露になったおっさんくさい自分の姿を自覚してたじろいだのだった。
何処がおっさんくさかったかと言うと、直立しているつもりの自分の姿勢がほんの僅かだけれど腰から上が前に折れ背中がカーブを描き、お尻がピョコンと後ろに突き出ていたからなのだった。その、「ほんの僅か」なところにおやじくささがぷんぷんと匂ってくるということが更にショックを増幅させ、それ以来なるたけ突き出た尻を引っ込め身体をまっすぐの姿勢に正すように意識し始めたことは言うまでもない。(しかしその思惑をあざ笑うかの様にこんどはお腹がせり出して来たのは予定ガイだった)
考えてみればそれ以前の若い頃にも、病気を患ったり胃腸を壊して体調を崩した時など、歩く姿勢がどうしても前屈みになることを自覚していたが、それは回復すれば元に戻るという約束の中での自覚だった。
今、ほんまもんのおっさんになってしまったわけだが、正直な話日常的に背筋を伸ばして直立することを意識せざるを得ないというのが現状だ。放っておけばすぐじわじわと前屈みになってしまうのだからたまったものではない。
年齢関係なくとも体調を崩した時に前屈みになるということは、きっと内臓が弱っているからに違いなく、歳を食うということイコール内臓が疲弊して行くということに繋がるのだろう。
あるきっかけで煙草をやめることが出来、それによって食欲が復活したおかげでいまのところ内臓がなんとなく元気なようなのは少し救いがありそうだ。
同年代の友人をみると多分年齢相応に食が細くなっている者が多いが、それと比べて若者並みに大盛り飯を食らう自分に、逆に恥ずかしさも何となく感じたりする。
病気自慢ではないけれど50歳も半ばを過ぎると、身体に成人病の一つも抱えていないと何やら取り残されたように感じるのも変な話だ。
高血圧でも糖尿でも癌でも、知らんうちにやってきてどこかに居座ってしまうのは仕方がないこととしても、姿勢がどんどん前屈みになって行くのだけは嫌だなと思う。
どうせ前に引っ張られるのなら、前屈みでなく前のめりで居たいと思うおっさんの今日この頃。
by digitaris
| 2006-11-17 19:18
| 1日1アート